境内

お堂前から入口階段方面を望む
お堂前から入口階段方面を望む

「穴観音」解説板について

出典は、「総社市史 通史編や美術編」と思われます。

 「弁財天・羅漢など数点の石刻像」の記述にご注意ください。

 なお、「千葉・迎福寺の例」はこちらも参考にしてください。

 


お堂の西外側から見た玄室です。外側を石垣で補強しています。
お堂の西外側から見た玄室です。外側を石垣で補強しています。

四国八十八ヶ所奥坂霊場

第八十八番 大窪寺

 

岩屋三十三観音の移転記念碑 大正十三年三月
岩屋三十三観音の移転記念碑 大正十三年三月

「記念 南無大師遍照金剛」碑の裏側

 

「大正十三年三月

岩屋山御移轉」

 

 岩屋三十三観音は当初、岩屋観音院入口から鬼ノ城周辺を東から西に回り、ビジターセンターから犬墓山経由で鬼の差し上げ岩のある毘沙門堂までに三十三観音が設置されたていた。その一部(17体)を奥坂穴観音周辺に移設しています。

その記念碑のようです。

岩屋山御移轉記念の碑

 表には「記念 南無大師遍照金剛」裏には「大正十三年三月 岩屋山御移轉」と刻まれています。

 岩屋山三十三観音の一部(鬼ノ城山周辺にあった17体)を奥坂穴観音の周辺に移転したことを記念した碑と思われます。

 移転当時の事情をご存知の古老の話によると「岩屋の若者が背負って穴観音まで運んだ」そうです。

 古老自身は「バチがあたるので私はしなかった。」ということでした。

 当時の若者は力があったことと、移転の労力に優る信仰上の理由があったのでしょう。

 岩屋三十三観音については、こちらを参照してください。

 

 奥坂穴観音にある岩屋三十三観音の一部については、こちらを参照してください。

四国八十八ヶ所奥坂霊場

第八十七番 長尾寺

四国八十八ヶ所奥坂霊場

第七十六番 金倉寺

文英石仏

 

文英石仏

 奥坂穴観音境内の隅にある文英石仏です。奥坂には、この他に近くに2体が認められています。

 さらに、隣の久米地区にも2体が認められているようです。

 

 「僧文英と石仏(林信男 編集)」に詳しく述べられています。

境内西側から撮影しています。一番手前には「文英石仏」があります。
境内西側から撮影しています。一番手前には「文英石仏」があります。